2005年公演評

★[バレエ]  新国立劇場バレエ団『白鳥の湖

新国立劇場バレエの新年幕開けは、一年半ぶり七回目の『白鳥の湖』。マリインスキー劇場版として導入されているセルゲーエフ版は、踊りでドラマを推し進める、簡潔でスピーディな版である。結末が悲劇ではないので、ドラマとしての振幅にやや欠けるきらいはあるが、王子の憂鬱のヴァリエーション(本家にはない)を一幕一場の真中に置いて、メランコリーの突発性を明示するなど、新国立版独自の美点がある。今回は、初日の海外ゲスト、ヴィシニョーワ、初役の新星、真忠久美子、ヴェテランの域に入ってきた酒井はなというキャスティング。この中で、長年白鳥を踊り込んできた酒井が、抜きん出て緻密な造型を見せている。

酒井の白鳥は明らかに深化していた。前回は内面を注視するあまり、外からの視線を欠いているように思われたが、今回はラインを整えた上で、これまで培ってきた自己の解釈をすべて、踊りに注ぎ込んでいる。酒井の並外れて強いパトスが、ラインという形式を得て、社会化された瞬間だった。ドゥジンスカヤの衣鉢を継ぐ黒鳥のアダージョも、鋭く強く、しかも洗練されている。酒井の芸術に対する姿勢は、一種宗教的エネルギーとでも言うべきものを生み出し、劇場を聖なる空間へと変換させる。酒井の踊りを見ることが、見る者の肉体に「経験」として刻まれるのは、このためだろう。パートナーの山本隆之は王子役も板に付き、余裕のある演技。ヴァリエーションはやや甘いが、相手に寄り添う優れたパートナーといえる。

初役の真忠は、気品に満ちた美しい姿と、豊かな感情に裏打ちされた踊りで、白鳥の王道を歩み始めている。ポール・ド・ブラは繊細で雄弁。この上体の圧倒的な魅力に比べると、脚の表情はおとなしい。しかし初役にしてすでに一貫した役作りで、将来に期待を抱かせる舞台だった。パートナーのトレウバエフは、端正な踊りと誠実なサポートで貢献。グァーン役で見せた演技力を、白鳥の王子にも期待する。

ゲストのヴィシニョーワは、マリインスキー劇場では『白鳥』を踊っていないとのことで、異質がぶつかる化学反応のような踊りを期待した。だが初日を見る限りでは、等身大の解釈が、黒鳥はともかく、白鳥の振付を覆い切れていない。伝統と切り離された根拠の無さが、裏目に出ている。パートナーのコルプは、なぜか丸刈りの頭。違和感は拭えなかったが、丁寧な役作りと基本に忠実な踊りで、ゲストとしての役目を果した。

『くるみ』同様、一幕の仕上がりが良い。家庭教師のイリインと、道化のバリノフが要となっている。アンサンブルは華やかで大きく、ワルツは典雅ですらあった。白鳥のコール・ド・バレエは、以前よりもばらつきがある一方、伸びやかになり、生き生きしている。ソリスト川村真樹の姿形が際立って美しい。残念なのは、物語の核となるべきロートバルト(市川透)に力強さが見られず、終幕が盛り上がりに欠けたことである。

管弦楽はロビン・バーカー指揮、東京交響楽団。今回は、音楽が舞台の足を引っ張る残念な結果に終った。指揮者のテンポの堅持が、新たな音楽的創造へと結び付かず、舞台と音楽の齟齬のみが露わになってしまった。(1月7、8、10日 新国立劇場オペラ劇場)  *『音楽舞踊新聞』No.2655(H17.2.21号)初出

 

★[バレエ]  新国立劇場バレエ団『カルメン

新国立劇場バレエに強力なレパートリーが出現した。今季すでにバレエマスターの職を退いている石井潤の強烈な置土産、『梵鐘の聲』以来七年ぶりに振り付けた、全幕バレエ『カルメン』である。石井の七年間の総決算を祝して、千秋楽のカーテンコールには、全キャストが勢揃いした。 石井の振付には力がこもっていた。自身の生理に沿った自然な作舞というよりも、情熱と意志によって作り込まれた緻密な振付である。流れるような場面転換にマクミランの影響が見てとれるが、振付自体はマクミランよりもリアルで即物的。バレエのパに闘牛士や兵隊の身ぶり、フラメンコのフォルムが加わっている。カスタネットの踊りからスニーガ殺害を経て愛のパ・ド・ドゥに至るシークエンスは、精緻な感情のドラマが、完璧なクライマックスへと一気に爆発する、手練の振付・演出だった。

カルメン、ホセ、ミカエラには三キャスト。初日の酒井はな、山本隆之、真忠久美子が、強度と存在感のある華やかな舞台を作り上げた。酒井のカルメンは素晴らしかった。マノンやジゼルといった蓄積が全て注ぎ込まれ、全編、高密度の踊りに終始した。アンサンブルを率いるユニゾンでは、磨き抜かれた美しい体が圧倒的な存在感を見せつける。また、クライマックスの愛のパ・ド・ドゥでは、『舞姫』以来辿ってきた道のりを総括する、凝縮度の高い踊りを見せて、プリマとして完成の域に達したことを印象付けた。作品の輪郭が消えうせる、まさにスターの舞台である。山本は、酒井のカルメンと共に地獄の底まで落ちていくホセ。ふたごのような愛の形は、この二人にしか見られない。スニーガにいたぶられ、カルメンに翻弄され、最後には相手を殺す大きな感情の振幅を、山本は難なく生き抜いている。

最終日の本島美和、貝川鐵夫、西山裕子は、石井作品の全貌を明らかにした。初日とは対照的なアンサンブルによる舞台である。本島のカルメンは新人らしく、若さにまかせて突っ走る体当たり演技で、猛々しい肉体の感触を残し、対する貝川は、ホセの心情を鋭いラインで描き出す。深い役作りが明晰なホセ像へと結び付いた。特筆すべきは西山のミカエラ。立ち姿だけで空気を変える。ホセとのアダージョでは、音楽への自然な感応とみずみずしいラインで、清らかな美しさを体現した。また、演技派のイリインが、懐の深いパスティア(全日)を生き生きと演じ、展開の早い舞台の、安定した軸となっている。

中日の湯川麻美子、ガリムーリン(ゲスト)、川村真樹の組は、ガリムーリンと振付に距離があったせいか、他組ほどのドラマを立ち上げるには至らなかった。

石井版『カルメン』は、細かい点を除けば、舞踊的には初演にしてすでに、レパートリーとしての充実した完成度を誇っている。構成的には、ホセのみならず、カルメンの心の葛藤を描いた点が、最大の特徴だろう。ほぼオペラの粗筋に沿った台本(児玉明子)に、カルメンとホセそれぞれの「幻想」の場を加えて、二人の内面を描き出した。男女相並ぶ現代的なドラマの骨格を獲得したかに見えるが、カルメンの男を惹きつけるファム・ファタルとしての輝きは失われていない。「幻想」シーンにオペラのミカエラに当てた天上的な曲を使用し、パ・ド・ブレを用いるというバレエ・ブランに通じる様式によって、カルメンの虚構性が保たれたのだろう。ただし、このことで、清純なミカエラとの対照が弱められたようにも思われる。

音楽(編曲・指揮ロビン・バーカー)はオペラの主要曲と、ビゼー交響曲「ローマ」、オペラ「真珠採り」や「アルルの女」から選曲。ミカエラとホセのアダージョに用いた「ローマ」の緩徐楽章が、作品に大きく貢献している。管弦楽は東京シティフィル。(3月25、26、27日 新国立劇場オペラ劇場)  *『音楽舞踊新聞』No.2662(H17.5.1号)初出

 

★[バレエ]  新国立劇場バレエ団『眠れる森の美女』

新国立劇場バレエ、一年振り四回目の『眠り』は、01年より契約ソリストとなり、数々の主役を務めてきた志賀三佐枝の引退公演となった。志賀は堅実なテクニックと抜きん出た音楽性で、『眠り』から『ライモンダ』まで、古典の主役を着実にこなしてきた。その志賀にとっての二回目、そして最後となる今回のオーロラは、あっさりした表現で音楽性を最大限に生かした、いかにも志賀らしいアプローチだった。このところ、細やかな演技のために音楽的な純粋性がやや曇りがちだったが、今回は、バレエ団随一の音楽的感性を、切れのよいテクニックで完全に身体化させている。四キャストの中で、最もチャイコフスキーを聴く喜びを感じさせるオーロラだった。 志賀の魅力は音楽と切り離すことができない。『ドン・キホーテ』では渡邊一正の指揮とともに、劇場一杯に音楽を充満させ、音楽に合わせて体を動かす原初的な舞踊の喜びを体現した。また初めての『シンデレラ』では、ワーズワースの超高速の指揮を難なく我が物として、完全に音楽と化した身体を見せつけている。新境地を開いたのが、今回のパートナーでもあるマトヴィエンコと組んだ『パキータ』。けれん味たっぷりの踊りに細やかさと艶をにじませる、高次元の踊りを編み出した。年令的には、早すぎる引退と言わざるをえない。もう一度、あの音楽のみが身体に残る『ドン・キホーテ』を見たいと思っていたが、叶わぬ夢となった。今後、その優れた音楽性と正確な技術は、教育の場で生かされることになるだろう。

今回の初日は、アナニアシヴィリの代役を引き受けたザハロワが務めている。本調子ではなかったが、理想的なプロポーションとひたむきな踊りで、最後には観客の心をつかんだ。バレエ団からは、共に初役の寺島ひろみと真忠久美子が、対照的な舞台を見せている。

寺島は硬質の踊りに日本的な情緒をにじませて、『ライモンダ』の時よりも一歩踏み込んだパフォーマンスを披露した。ただ、本来は踊りそのものの豪華さが身上に思われる。こぢんまりとまとまった表現に、寺島の個性が表れているとは思えなかった。

一方の真忠は、緊張または体調のせいか、二幕を除いて、伸びやかな踊りをほとんど見ることができなかった。表現以前の状態だが、個性は発揮している。腕を広げて微笑むだけで、夢心地に誘われる。万人に与えられる訳ではない、人を幸せにする才能を、真忠はよく自覚する必要がある。

今回の公演では、芸術アドヴァイザー兼ゲストバレエマスターとして、元ボリショイ・バレエ芸術監督のファージェーチェフが招かれた。演出の変化は感じられなかったが、男性主役は、ゲストのウヴァーロフ、マトヴィエンコ、バレエ団の山本隆之、青い鳥のトレウバエフと、グレードアップした。とくにマトヴィエンコが、限界に挑戦する気迫のこもったヴァリエーションを見せている。パートナーとしては、真忠を支えた山本が際立っている。

さらに今回は、リラの精を踊った三人が、それぞれの持ち味を発揮した。前回に引き続き、初日を踊った前田新奈がすばらしい。やはり登場するだけで、舞台の空気が変わる。全体を統率する力と大きさを持ったリラの精である。後半二日を踊った西川貴子は、正統的なロシア派の踊りに品格をにじませる。観客にもう少しアピールした方がよいかと思われるが、ロシアの香りを漂わせる貴重な踊り手である。西川同様、初役の川村真樹は、落着きのある演技と美しいラインで、初めての大役を見事に果した。

フロリナ王女は五人。宮内真理子が久々に復帰している(未見)。それぞれ味わいのあるフロリナだったが、最終日の島添亮子が、一段と引き締まった踊りを見せている。宝石の精も、やはり最終日に西山裕子、川村真樹、厚木三杏、寺島ひろみの主役級がそろい、最も見応えがあった。

音楽(指揮ガーフォース)はやや香りを欠いたが、間奏曲(Vn.青木高志)は毎回が楽しみだった。最終日に幕裏から笑い声が聞こえたのは残念。管弦楽は東京フィル。(4月29、30日、5月2、3日 新国立劇場オペラ劇場) *『音楽舞踊新聞』No.2666(H17.6.21号)初出